【ヤラハタ3姉妹湯けむり叙情】〜ギザギザハートのカタルシス〜
2005年3月21日打ち上げもまばらに解散し、皆帰路に。
私と春田とゆうこは例に寄って3人。
もう眠くてお腹へって死ぬんじゃないか?と思ったので一度3人いっぺんに自宅へ呼ぶことにする。
駅を降りてすぐの松屋で朝ごはん。
ゆうこは「何ーこの松屋超モダンじゃーん」などと神がかり的なことをほざいていた。時折その台詞を思い出して飯が喉を通らず。お前は人を摂食障害にさせるつもりかーーー!!
その後タクシーで帰宅。
うちのセミダブルのベッドに3人仲良く眠る。
たまーに春田のたまごっちが断末魔の悲鳴を上げていたが気にしなかった。
6時くらいまで爆睡する。
どんだけゆったり寝れるんだこの3人は。
でも皆ぼろぼろ〜な感じに廃れきっていた。疲れていたんだろう、きっと心が。
なので思い立ったように3人で仲良くお向かいの温泉行くことにする。
いままで近場だというのに実は一回も行ったことがなかった温泉だ。
料金も設備も天然か某ホワイトボーン温泉なのかもわからない。
でも突撃することにする。どちらにせよ大きなお風呂が女の子に与えてくれる癒し効果は計り知れない。
で、実際行ってみたところ。
なかなか広いし、よく解らないくらい風呂の種類があった。
思っていたよりは全然良いところらしい。
露天風呂に至っては結構な居心地の良さだった。
もうこの3人で裸の付き合いをするのも慣れてきたので、この際裸であるだけに赤裸々な話をすることにする。
積もる話をコーヒー色に淀んだ温いお湯の中で喋るというのは、予想以上に神経のコリがほぐれるものだった。
頭上にはお湯と同じ煤けた暗い色。
体にまとわりつくのも鈍い木肌色。
のけぞると結露した大きなガラス窓を通してぼんやりと人の影が移動していくのが解る。
きっと、亡霊が浸かりに来てても解らない。
それくらいぼんやり。
あっちから見たら私たちも生きてても死んでてもどっちでも良い姿に見えるんだろうなー。
なんて恐くて、なんて気楽なんだろう。
しばらくして、風呂を上がって食堂に行く。そこのご飯は中々に良心的な値段で美味しいものだった。
デザートには抹茶のソフトクリームを食べた。
その後、二人は何事も無かったようにいつも通り帰っていった。
私はそんな二人のいつも通りがたまらなく嬉しかった。
なんでか嬉しかった。
なんでか寂しかった。
それがなんでかは知らんけど。
あの温泉は自分が掘ったもんでも無いのに
「しんどくなったらまたおいでや」
と言いそうになったりした。
その感覚は不条理だけど、別に嫌いじゃない。
そうだよね。
常識や統計や世間体だけで生きていくことを大人の了見とするなら
彼らはきっとそんなに不幸せじゃないけど、いっつも気づかないうちに絶望していることになるんだろう。
生きにくくて泣くのも気持ちいいことの一つなんだし。
だって、私たちは感情で出来ている。
私と春田とゆうこは例に寄って3人。
もう眠くてお腹へって死ぬんじゃないか?と思ったので一度3人いっぺんに自宅へ呼ぶことにする。
駅を降りてすぐの松屋で朝ごはん。
ゆうこは「何ーこの松屋超モダンじゃーん」などと神がかり的なことをほざいていた。時折その台詞を思い出して飯が喉を通らず。お前は人を摂食障害にさせるつもりかーーー!!
その後タクシーで帰宅。
うちのセミダブルのベッドに3人仲良く眠る。
たまーに春田のたまごっちが断末魔の悲鳴を上げていたが気にしなかった。
6時くらいまで爆睡する。
どんだけゆったり寝れるんだこの3人は。
でも皆ぼろぼろ〜な感じに廃れきっていた。疲れていたんだろう、きっと心が。
なので思い立ったように3人で仲良くお向かいの温泉行くことにする。
いままで近場だというのに実は一回も行ったことがなかった温泉だ。
料金も設備も天然か某ホワイトボーン温泉なのかもわからない。
でも突撃することにする。どちらにせよ大きなお風呂が女の子に与えてくれる癒し効果は計り知れない。
で、実際行ってみたところ。
なかなか広いし、よく解らないくらい風呂の種類があった。
思っていたよりは全然良いところらしい。
露天風呂に至っては結構な居心地の良さだった。
もうこの3人で裸の付き合いをするのも慣れてきたので、この際裸であるだけに赤裸々な話をすることにする。
積もる話をコーヒー色に淀んだ温いお湯の中で喋るというのは、予想以上に神経のコリがほぐれるものだった。
頭上にはお湯と同じ煤けた暗い色。
体にまとわりつくのも鈍い木肌色。
のけぞると結露した大きなガラス窓を通してぼんやりと人の影が移動していくのが解る。
きっと、亡霊が浸かりに来てても解らない。
それくらいぼんやり。
あっちから見たら私たちも生きてても死んでてもどっちでも良い姿に見えるんだろうなー。
なんて恐くて、なんて気楽なんだろう。
しばらくして、風呂を上がって食堂に行く。そこのご飯は中々に良心的な値段で美味しいものだった。
デザートには抹茶のソフトクリームを食べた。
その後、二人は何事も無かったようにいつも通り帰っていった。
私はそんな二人のいつも通りがたまらなく嬉しかった。
なんでか嬉しかった。
なんでか寂しかった。
それがなんでかは知らんけど。
あの温泉は自分が掘ったもんでも無いのに
「しんどくなったらまたおいでや」
と言いそうになったりした。
その感覚は不条理だけど、別に嫌いじゃない。
そうだよね。
常識や統計や世間体だけで生きていくことを大人の了見とするなら
彼らはきっとそんなに不幸せじゃないけど、いっつも気づかないうちに絶望していることになるんだろう。
生きにくくて泣くのも気持ちいいことの一つなんだし。
だって、私たちは感情で出来ている。
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